日本人はいつからこんなに
見えないものを信じなくなったのだろうか?
かくいう私も
一時は現物現品現金主義で
魔法だの奇跡だの
言霊だのなんてものは
ただの迷信かインチキだと
真向から否定していた
とはいえ
引田天功のイリュージョンを見ては
仕掛けを暴いてやると思いつつもどこかで憧れていた
大きな何か得体のしれない
ものすごい力が存在していることに
小学生のときに気づいていたからだ
「お天道さまが見ている」
この言葉は祖母がよく私に言った言葉だ
誰もみていなくても
お天道さまは見ているのだから
つまらんことしちゃいけん
(悪いことをするな)
太陽に目があるわけではないのに
どこかでその見えない目を
認識していたのだろうとおもう
やはり拾った財布から金を抜き取って
どぶに捨てることはできなかった
誰も見ていなくても
誰にもとがめられなくても
誰もわかりやすく喜んでくれなくても
誰にも褒められなくても
お天道さまはみている
きっとこれを良心とか陰徳とかいうのだろう
しかし
なにか見返りを期待するようなことを
意識した時点で
たいがいうまくいかない
だれも見ていないときにゴミ拾いをして
徳を積んでおこう
きっとまわりまわって
宝くじが当たるはずだ
などと思った時点で
すでに報いを受け取っている
すでにお天道さまは
万人(すべて)になんのへだたりもなく
太陽の光を届けている
ようは
見返るものがない
なぜならすでに受け取っているから
だ
お天道さまを引き合いにだした
昔の人は
ほんとうにたいしたものだなと思う
みえないけれど
いただいているのでかえします
と
見返りを求めないで
純粋にうごくときに
ちゃんとご褒美がやってくる